厳しさは、どこで不適切指導に変わるのか ― 体罰問題から考える、管理職を孤立させない仕組み ―
避けては通れない出来事
赤池監督の指導を語るうえで、避けて通れない出来事があります。
一連の騒動の発端となった2022年8月、長野合宿中に起きた体罰問題です。
まず確認しておきたいのは、体罰は決して許されるものではないということです。どのような事情があっても、指導者が生徒に手を上げることは、指導の一線を越えた行為であり、この前提を曖昧にしてはいけません。
しかし同時に、この出来事を「暴力的な指導者による体罰」とだけ捉えてしまうと、組織の中で何が起きていたのか、そして管理者がどのような状況に追い込まれていたのかを見落としてしまう可能性があります。
問題の背景には、部員間のトラブル(いじめに相当する行為)があったとされます。「辞めたい」、「もう無理だ」と、追い詰められて苦しんでいるひとりの生徒が目の前にいるのです。赤池監督は、加害側の生徒に対して何度も注意し、指導を重ねました。しかし、状況は十分に改善することはありませんでした。さらにその後も、生活態度の乱れ、反省の見られない態度、約束違反などが重なります。
赤池監督が大切にしていたのは、タイムの速さだけではありません。挨拶、礼儀、素直さ、感謝、嘘をつかないこと、そして人として信用されること。その指導方針からすれば、いじめや約束違反、反省のない態度は、決して見過ごせない問題だったはずです。
体罰は許されない。一方で、いじめや規律違反を放置することも許されない。
ここに、この事件の難しさがあります。指導者は、被害を受けている生徒を守らなければなりません。同時に、加害側の生徒にも向き合わなければいけません。さらに、それを見ている他の生徒たちに対しても、「何が許され、何が許されないのか」を示さなければならないのです。
このような状況を、指導者個人の責任感や熱意だけで抱え込ませてしまうと、いつか限界がきます。難しい場面ほど、指導者一人に任せてはいけません。そして、だからこそ、組織としての関与や判断が必要になるのではないでしょうか。
この事件から我々が学ぶべきことは、「厳しく指導してはいけない」ということではありません。むしろ、厳しい指導が必要な場面ほど、管理職を孤立させず、組織として支える仕組みが必要だという点です。
第2回では、赤池監督の体罰事件を通じて、理念ある厳しさと不適切指導の境界線、そして管理職を孤立させないマネジメントのあり方について考えてみたいと思います。
厳しい指導と不適切指導の境界線
人を育てる現場では、ときに厳しい指導が必要になる。それは、学校教育現場でも会社や組織でも違いはありません。
- 「約束を守らない」
- 「周囲に迷惑をかける」
- 「何度注意しても改善しない」
こうした行為を放置すれば、本人だけでなく、組織全体に悪影響が及びます。そうした場面で、指導者が曖昧な態度を取れば、「許される行為」として周囲に伝わってしまいます。
したがって、厳しい指導そのものが十把一絡に完全に悪いとは言い切れません。むしろ、見過ごしてはいけない行為に対して、明確に「それは許されない」と伝えることは、指導者や管理職に求められる重要な役割です。
ただし、厳しい指導と不適切指導は紙一重であることも事実です。問題は、その厳しさがどのような形で表れるかです。
(尚、ここで言う「厳しい指導」とは、暴力を容認することではありません。暴力や人格否定は、どれほど背景に深刻な事情があったとしても、指導の範囲を超えていると考えていますので、改めてお断りしておきます。)
| 観点 | 厳しいが適切な指導 | 不適切指導 |
|---|---|---|
| 目的 | 行動改善、成長、再発防止 | 怒りの発散、制裁、支配 |
| 焦点の当て方 | 問題となる行動に向けられる | 人格や存在そのものを否定する |
| 伝え方 | 何が問題か、なぜ必要かを説明する | 怒鳴る、脅す、辱める、力で従わせる |
| 指導方法 | 面談、注意、改善指導、記録、段階的対応 | 暴力、暴言、人格否定、孤立させる対応 |
| 本人への期待 | 改善の機会を与える | 逃げ場をなくし、追い詰める |
| 組織対応 | 記録を残し、複数人で対応 | 指導者個人が抱え込み、密室化する |
| 判断基準 | 事前に示されたルールや価値観に基づく | 指導者の感情や場当たり的判断に左右される |
適切な指導は、相手の成長や行動改善を目的としています。何が問題だったのか、なぜ改善が必要なのか、今後どう行動すべきなのかを示し、本人が理解し、立て直す機会を与えます。厳しい言葉を使うことがあっても、その目的はあくまで改善であり、人格を否定することではありません。
一方、不適切指導は、指導者の怒りや失望などが前面に出ます。相手を追い詰める、恥をかかせる、人格を否定する、力で従わせる。そこでは、本人の成長よりも指導者の感情や制裁が優先されてしまいます。つまり、指導に必要なのは「強い言葉」ではなく、「明確な基準」であるということです。
- 何が許されないのか。
- なぜ許されないのか。
- 次にどう行動すべきなのか。
- 改善しない場合、どのような対応になるのか。
これらが本人にも周囲にも分かる形で示されていれば、例え厳しい指導であっても、組織の規律を守るための正当な対応になり得ます。しかし、基準が曖昧なままであれば、また、指導者の感情だけで対応してしまえば、指導は簡単に不適切なものへと変わります。やるべきことは、感情論ではなく明快で論理的な基準に基づく指導です。
管理職を孤独にさせない仕組み作り
企業や行政の現場でも、問題行動への指導を管理職個人の力量や責任感だけに委ねると、対応は属人的になり、感情的な指導に傾く危険があります。また昨今では管理職の孤独化やメンタル不調も問題になってきています。管理職を孤立させない仕組みこそが、不適切指導を防ぎ、組織の規律と人材育成を両立させる土台になると言えるのではないでしょうか。
| 必要な仕組み | 内容≪ポイント≫ |
|---|---|
| 指導記録 | いつ、何を、どう指導したかを残す ≪ヌケ・モレがないようにフォーマット化≫ |
| 複数対応 | 上司一人でなく、人事・管理職・第三者を入れる ≪孤立を防止し、客観性を担保する≫ |
| 段階的措置 | 注意、面談、改善指導、処分、配置転換など ≪改善の基準と手続きを明確にする≫ ≪対象者にも明示せるように整備する≫ |
| 相談窓口 | 被害者・加害者・指導者それぞれの相談先 ≪管理職を始めとした関係者の負担軽減≫ |
| 指導者支援 | 管理職を孤立させない体制 |
次回は・・・
体罰問題は赤池監督の指導の光と影を考えるうえで避けて通れない出来事ですが、しかし、その後に起きた集団転校は、もう一つの重要なテーマを私たちに投げかけているように感じます。
大牟田高校から多くの選手が鳥取城北高校へ移ったとき、そこには転校した選手だけでなく、大牟田に残った選手、そして鳥取城北に元からいた選手たちの思いもあったはずです。
- 突然、実力のある選手たちが加わる。
- これまでのチームの序列や空気が変わる。
- 期待と不安が入り混じる中で、チームは一つになれるのか。
第3回では、集団転校後の鳥取城北高校駅伝部を題材に、異なる背景を持つ人材をどう受け入れ、どう一つの組織にしていくのかを考えてみたいと思います。